サンプル版:B・ラッセル『幸福論』

これもものすごくよさそうなので読みたいです。

 

ビビッときたところだけ引用させてもらいます。

 

戦争を回避するための組織を発見することは今日の文明にとっては絶対的に必要である。けれども、こうしたいかなる組織も、人々が非常に不幸せで、そのためお互いに殺し合うということの恐ろしさが日光の↓でジッと我慢していることくらいにしか感じられないうちは、とうてい、作られるチャンスもないだろう。 

 

富める者自身が不幸であるとするならば、誰も彼もを物持ちにさせることが何の役に立つか? 

 

残酷と恐怖のなかの教育はもちろんいいとは言えない、しかし、彼ら自身こういういまわしい感情の奴隷であるような人々によって、どうしてこれ以外の教育がほどこされ得ようか。 

 

というところと、

 

私がこれから示そうと考えているものは、普通程度の好運さえ恵まれているならば、それによって彼の幸福がかち得られるようなそうした心の改革にほかならない。 

 

これなんて本当に大切なところであると共感するし、その後に示されるラッセル氏の「私は幸福には生まれなかった」という短い自叙伝も、この本を書いた説得力というか、ただ幸せに人生を過ごした人の著書ではない点はなんだか共感しやすいと思う。

 

これからさき、年齢を重ねるごとに、私はいっそうこの生活をエンジョイ(楽しむ)するだろうと。 

 

そう言える人がどれほどいるかなって思うし…。

 

その大部分は、私自身というものに私がとらわれなくなったことによっている。 

 

およそ対外的な興味は、この興味が生々と働いているかぎり、「倦怠」を完全に防止するところのなんらかの活動をうながすものである。その反対に、自分自身に対する興味は結局なんらの進歩的な活動をももたらすことはない。 

 

ここで目を覚まさせられる人も多いのではないかなと思った。

 

私も自分に興味があるし、内省的なこと、自分の心を見つめることみたいな行為も好きなのですごく思い当たることもあるけど、対外的な興味を持つことの利点っていうのは考えたこともなかったので、すごく新鮮だと思った。

 

確かにこの本読みたい、あの本読みたいって思ってる時は、アンニュイどころではなくって、時間も足りないし寝るのも惜しいってなるので、納得できた。

 

その後に、自己没入についての記述があり、ラクロ氏の『危険な関係』への言及があります。

 

まだ最後まで読んでないけど、とりあえずここまで。

 

幸福論なんて一回読めばそんなもんかぁって思っちゃうものも多いけど、その一回読むか読まないかの差って大きすぎると思うので、この本もぜひ読んでみたいです。